恵方巻の由来

恵方巻の発祥は、江戸時代の終わりから明治時代初めに、大阪・船場の商人により 商売繁盛の祈願として恵方巻を食べる習慣が始まったと言われています。その当時の暦では立春の前日の節分は大晦日にあたり、前の年の災いを祓う厄落として、年越しの行事として行われていました。昭和初期では大阪の船場の商人の間で行なわれていたようです。
戦後に一旦廃れたましたが、1974年のオイルショックの後、大阪の海苔店経営者などが海苔の需要拡大をねらって節分に海苔巻きの早食い競争のイベントを催したこと、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で催した海苔の販売促進行事で復活して行われていたと言われています。

恵方巻 2009年の方角

2009年の恵方は東北東やや右です。 節分に今年は東北東やや右に向かって、目を閉じ願い事を思い浮かべながら恵方巻きをまるかぶりするのが習わしとされいます。食べている間は無言でなければならなりません。
七福神にちなんで かんぴょう、きゅうり、しいたけ、 伊達巻、うなぎ、昆布など七種類の具を入れて 福を食べると意味合いがあります。福を巻き込むという意味合いもあります。
ことわざにある「鬼に金棒」にみたてて、節分の豆まきで逃げて行った鬼が落として行った金棒を体に取りいれることで、無病息災、商売繁盛、自分を取り巻く悪い事から逃れる、窮地打破などの意味があると言われています。

節分の恵方巻

そもそも節分とは季節の分かれ目のことで一年間には4回あります。のことをさします。「立春、立夏、立秋、立冬の前日」の事をいいますが、立春の節分は厳しい寒さを越えて暖かな春の始まりという事でとりわけおめでたいということと、
、昔は立春がいちねんの始まりに値する大切な節目でしたので、その前の日の節分は年越しとして大切なものでした。それでこの立春の前日の節分が重要視されて節分は2月3日になったようです。
蕎麦の実は魔よけになるといわれ、節分を年越しとして、江戸時代には、大晦日ではなく節分が年越し、という考え方がありました。立春を迎える前に、蕎麦を食べて身を清め、新しい年を迎えていました。それが節分蕎麦です。

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